最近はLGBTのみならず、いろいろな個性や障碍に
対しても寛容で温かい社会になってきましたね。
1319456_1200
しかしながら実際問題としてゲイ同士である以上に
どちらかに身体障碍がある場合
いったい人はどうやってそのハードルを
乗り越えていけるのか、この難しいテーマについて
一度は考えてみたいと思いました。
matsuzaka-1
自分が物心ついた頃に出会った身体障碍者の方と
言えばこの人「五体不満足」の乙武洋匡さんです。
img_869e5a205070a7b85c61cc28a47f1b72129056
さすがに外見から来るインパクトありすぎで
すぐにうち解けられるかわからなかったけど
彼の著書やドキュメンタリーを
拝見していく中で、いつしか
「同じ男じゃん」と思えるようになりました。

その後の乙武さんの傍若無人ぶりは
ぶっ飛びすぎですが
なぜか僕には「乙武さんも同じ男だもの」
と妙に納得しちゃったりもしました。
たた
乙武さんが世間から攻撃された不倫騒動について
友人であり社会学者の古市憲寿さんは
次のように語っています。
19565_original
「忘れかけていることかも知れませんが、
 乙武さんには手足がないのです。
 自分で服を脱ぐこともできなければ
 相手の服を脱がすこともできない。
 自分の欲望を独り処理することも難しいです。
 今回、不倫と言われる行為は、
 普通想像してしまう情景とは
 全く違うものであったと思います。
 それは言わば愛情表現としての
 実質上の介護ではなかったか…」
9c6dd6b0-s
その主張を聞いた時、
ふと思い当たることがありました。

「五体不満足」だったか、小学生のエピソードで
急に便意を催した時に、介助者が見当たらない
顔を真っ赤にして我慢してたら、親友くんが
「どうした?オトちゃん、ウンコしたいんか?」
って一緒にトイレの個室まで入ってズボンを下ろし
オトちゃんを抱きかかえてしゃがんでくれたそうです。
その時僕は不覚にも「うらやましい」と感じました。
介助する側にも、介助される側にもです。

障碍とは、相手を知る一つのきっかけであって、
その人の隠し立てのない部分をも
共有できるとしたら、それはより強固な
愛情表現にもなり得るのではないでしょうか。
20190423_perfectworld
障碍と男子の性について調べていくうちに
なかなか興味深い動画を見つけました。
脊椎損傷の男性が自身の性を論じているのが
いかにもあっけらかんとしていて爽やかです。

仮にこれをゲイ同士に置き換えてみたとして
相方に障碍があっても交わり方を変えていけば
きっと愛し合えるのではないかと思います。

ちなみに前述の乙武洋匡さんは
LGBTにも深い理解を示してくれており
東京レインボープライド2019にも参加しました。
RJ1ECdNIeZKpH4Pc
むちゃくちゃグローバルでバリアフリーな
お方だなーと、改めて敬意を表したいと思います。

合わせて読みたい過去記事はこちら