新春早々から、ムズムズする記事を
イッてみたいと思います。
さて、ゲイであるということはすなわち
ちんちんが好きであるというのは
十分条件ですが、
僕もゲイである以上
やはり、ちんちんは好きです。
では、どんなちんちんが好きかと
尋ねられると、少々答えに窮します。
僭越ながら、これまで数えきれないほどの
ちんちんを見てきたわけですが、
その大きさ、長さ、太さ、形、むけ具合、色、
陰毛の生え具合等々、どれをとっても
1つとして同じものはなく、
そうかといって、どのちんちんも
誰の目にもそれが間違いようもなく
一目でちんちんだとわかる
普遍的な性質も兼ね備えているのです。
さて、その中でどれが好きかと言われても
どのちんちんにもパーソナリティーがあり
その人らしさが備わっているので
やはり人を見て、その人に似つかわしく思う
ちんちんが最もよきものと判断していくのが
理にかなっているようにも思います。
しかしながら、最近思案する所がありまして
理想のちんちんとは、どんなものかを究めようと
感染予防に努めながらも、足しげく温泉、銭湯を
通いつめて、発見した真理があるのです。
それは、つまるところ、ちんちんでさえ、
肉体の1ピースにすぎないのであって、
たとえば鼻や、指や、髪型のように
単体のそれに美の優劣がつけられるものではなく
あくまで全体としての調和の中で、
いくばくかの個人的趣味が反映されることで
見る側の方に
好みのちんちんがつくられていくのではないか。
ところが、ここに至るまでのちんちん理想論が
根本からひっくり返る珍事が、突然湧き起ったのです。
それは僕の一つ向こう隣の洗い場で起こりました。
なんとそこに座していたイケメン若武者君の宝刀が
ぐぐぐっと見る間にそそり立ってきたのです。
人の勃起するのって、こんなに間近で見られたのも
めったにないことですが、
最初は肉体の1パーツにすぎなかったちんちんが
意志と煩悶の末に別の姿に進化していく様は
それがどんなサイズ、形状のちんちんであっても
生命の魅力にあふれていると感嘆しました。
「勃起最強」…そんな言葉が
僕の脳内にみなぎっていくのを感じた時に
僕のちんちんもまた、同志を求めて
怒髪天を衝く?ごとくに、そそり立ってきたのです。
思うに、たとえ物体の一部であっても
そこに意志、魂が宿った時
本当に美しくなる…
人もまた、そうなのかなと思いました。
ちんちん関連の記事はこちら
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さて、ゲイであるということはすなわち
ちんちんが好きであるというのは
十分条件ですが、
僕もゲイである以上
やはり、ちんちんは好きです。
では、どんなちんちんが好きかと
尋ねられると、少々答えに窮します。
僭越ながら、これまで数えきれないほどの
ちんちんを見てきたわけですが、
その大きさ、長さ、太さ、形、むけ具合、色、
陰毛の生え具合等々、どれをとっても
1つとして同じものはなく、
そうかといって、どのちんちんも
誰の目にもそれが間違いようもなく
一目でちんちんだとわかる
普遍的な性質も兼ね備えているのです。
さて、その中でどれが好きかと言われても
どのちんちんにもパーソナリティーがあり
その人らしさが備わっているので
やはり人を見て、その人に似つかわしく思う
ちんちんが最もよきものと判断していくのが
理にかなっているようにも思います。
しかしながら、最近思案する所がありまして
理想のちんちんとは、どんなものかを究めようと
感染予防に努めながらも、足しげく温泉、銭湯を
通いつめて、発見した真理があるのです。
それは、つまるところ、ちんちんでさえ、
肉体の1ピースにすぎないのであって、
たとえば鼻や、指や、髪型のように
単体のそれに美の優劣がつけられるものではなく
あくまで全体としての調和の中で、
いくばくかの個人的趣味が反映されることで
見る側の方に
好みのちんちんがつくられていくのではないか。
ところが、ここに至るまでのちんちん理想論が
根本からひっくり返る珍事が、突然湧き起ったのです。
それは僕の一つ向こう隣の洗い場で起こりました。
なんとそこに座していたイケメン若武者君の宝刀が
ぐぐぐっと見る間にそそり立ってきたのです。
人の勃起するのって、こんなに間近で見られたのも
めったにないことですが、
最初は肉体の1パーツにすぎなかったちんちんが
意志と煩悶の末に別の姿に進化していく様は
それがどんなサイズ、形状のちんちんであっても
生命の魅力にあふれていると感嘆しました。
「勃起最強」…そんな言葉が
僕の脳内にみなぎっていくのを感じた時に
僕のちんちんもまた、同志を求めて
怒髪天を衝く?ごとくに、そそり立ってきたのです。
思うに、たとえ物体の一部であっても
そこに意志、魂が宿った時
本当に美しくなる…
人もまた、そうなのかなと思いました。
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