絶えるものなら
いっそ今なくなってほしい
これ以上長く生きていたら
自分の本性を隠し通すことがもう
できなくなってしまうから
たおやかな一首の歌の中に
命さえもいとわぬ忍ぶ恋の覚悟が張りつめる。
自らの魂の昇華のために身の消滅を図ろうとする
潔さが、美しいと言えば美しい絶唱だ。
古来よりわが国にはこうした「滅びの美学」と
いうものが存在する。
諸行無常の「平家物語」「義経記」
戦国の世の武将たち、信長、光秀、幸村
幕末の志士たち、竜馬、西郷、白虎隊
ゼロ戦特攻隊等々
だが果たしてそうだろうか?
死ぬこと、消滅することが美しいのだとしたら、
生きること、継続することの意味は何だろう?
誰もが、さしも面白くもない人生を
必死に生きもがいている
生き恥をさらしながら
醜くても懸命な生き方もある。
先の式子内親王の「永らへば」とは
対極にある歌が藤原清輔の歌、僕の十八番だ。
永らへば またこの頃や しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は 恋しき
【意訳】
この先、長く生きていれば
つらいと感じている今も
やがて懐かしく思い出されるのだろうか
あんなにつらかった昔の日々も
今では恋しく思われるのだから
【超訳】
今日の中の昨日
明日の中の今日
過去は花園 今地獄
人は過去の花園をバネにして
地獄の今を生きるのだ
こうして僕は再び、この世の地獄を
生き恥をさらしながら
のたうち回ろうと思います。
美しくはあらねど、なお生きたし
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