久々に映画レビューです
夏休み絶対観に行くと決めていた「国宝」

これについて自分がレビューを書くのは
はなはだ恐れ多い極みでもありますが
開き直って、ゲイだからこそ見えてしまう
「国宝」の世界観を、誠に拙い私見ですが
ゲイの皆様と分かち合えればと思い
ミニ3部構成で筆を執りたいと思います。
第1話…黒川想矢君と吉沢亮さんの同身愛
物語序盤に少年喜久雄役で颯爽と登壇する
黒川想矢君にまず目が行きます。


どこかで見たことのある目元、口元と
思ったら「怪物」に出てた子でしたね。
あれから2年、現在15歳⁈
女形姿で登場し凛々しく舞う想矢君の色気と
やくざの跡取り息子としての壮絶な運命に
目を奪われるばかりでした。



後の成人した喜久雄役の吉沢亮につながる
重要なポジションなのですが
この二人の入れ替わりがあまりにすんなりと
違和感なくオーバーラップしていくのです



その後吉沢亮さんが、想矢君の舞台を見て
「僕はこの上を行かなければいけないのか
すごいプレッシャーでした。」と述懐
したほどです。



けれどもさすが吉沢亮さん、
喜久雄になる以前に黒川想矢そっくりの
眼差し、立ち居振る舞いを完全コピーし
「あれっ?まだ想矢君?」と聞き返し
たくなるほどの憑依ぶりでした。
お互いが一つの役を通して
一心同体になってぴたりと重なっていく
この「同身愛」にはかなりエグられます

第2話 喜久雄と俊介の同道愛
何といっても主役2人の歌舞伎役者同士の
対峙とシンパシーは圧巻でした



血筋の俊介と、才能の喜久雄と称される
対極の存在にある2人なのですが
僕にはなぜか真逆に見えたのです。
血筋の俊介はむしろ血筋ゆえに苦しみ
己の努力一筋で再起を図るのですが
結局、受け入れがたい運命に蝕まれ
立つ足をすくわれ、転げ落ちていくのです


一方、喜久雄もまた出生ゆえの不幸に
つきまとわれるのですが、不思議と
彼は、悲惨な境遇であればあるほど
天性の美しさで光り輝いて見える。
美の悪魔は、彼を後継に選び
かくして「国宝」は誕生します。


互いに幸と不幸を上り降りしつつ
その最期に命がけで1つの花を咲かせる
この2人の同じ道を生き抜き
そして互いの滅びを見届けるような
関係性こそは、同性愛では済まされぬ
同志愛、同道愛の世界観です。

この2人で最後に共演した「曽根崎心中」
「この上は、死なねばならぬ品なるが、
死ぬる覚悟がききたい」
まさに2人手を取り、死出の旅路へと
転がり落ちていくその様は
現実とも重なる気迫と壮絶な覚悟の
物語となっていくのです。

このシーンで僕は化粧が崩れる?ぐらい
号泣してしまいました(^^;)
第3話 芸に生き、芸に死す
「国宝」の原作者、吉田修一さんは
僕の大好きな作家で、いろんな作品に
お世話になっており、かつてのブログにも
多くの書評を残してきました。
改めて言うまでもなく、彼はゲイを
カミングアウトしており、その作品には
必ずと言っていいほど、同性愛的な
布石を配していくのです。
「国宝」はどこにそれがあったでしょうか?

喜久雄と俊介の双璧な生き方の中にも
こじつければ見出せるかも知れませんが
今回はそのような小手先の軽業では
収まらないスケールの作品です。
ですが、この映画鑑賞中に僕は何度も
自分の耳がおかしくなったかと疑うほど
この言葉たちに背中を押され続けました。
「げいの道を極める者たちの物語」
「毎日、げいを追い続けた」
喜久雄「守ってくれる血が俺にはないねん」
俊介「でも、げいがあるやないか」
「本ま物の、げいは刀や鉄砲より強いねん」
「どんなにつらいことがあっても
あんたは、げいで勝負するんや」
「100年に1本の壮大な、げい道映画」
げいの道に身を投じるということ
時には愛する女も子どもも家族さえも
遠ざけ、己が身一つで、げいを極める
それまでにどれだけの人を犠牲にしてきたか
「でもそれでいいの、それでもやるの。」
これは先代国宝役の田中泯さんの遺言

映画のラストシーンで
大勢の観衆から拍手喝采を浴びながら
たった独り彼岸の彼方へとたどり着いた
「国宝」喜久雄の眼に映ったのは、もはや
人の愛情でも、己自身の美でもなく
ただただ美しい風景があるだけでした…
喜久雄「きれいやなぁ…」THE END

↑「はやて」さん2025.4.3より

↑「ずっか@AIイケメンを愛でたい」2025.6.25より





↑「ずっか@AIイケメンを愛でたい」2025.7.7より
おっと少し飛躍してしまいましたかね?
では、メインテーマとともにもう一度…
ほんま、きれいやなぁ…
夏休み絶対観に行くと決めていた「国宝」

これについて自分がレビューを書くのは
はなはだ恐れ多い極みでもありますが
開き直って、ゲイだからこそ見えてしまう
「国宝」の世界観を、誠に拙い私見ですが
ゲイの皆様と分かち合えればと思い
ミニ3部構成で筆を執りたいと思います。
第1話…黒川想矢君と吉沢亮さんの同身愛
物語序盤に少年喜久雄役で颯爽と登壇する
黒川想矢君にまず目が行きます。


どこかで見たことのある目元、口元と
思ったら「怪物」に出てた子でしたね。
あれから2年、現在15歳⁈
女形姿で登場し凛々しく舞う想矢君の色気と
やくざの跡取り息子としての壮絶な運命に
目を奪われるばかりでした。



後の成人した喜久雄役の吉沢亮につながる
重要なポジションなのですが
この二人の入れ替わりがあまりにすんなりと
違和感なくオーバーラップしていくのです



その後吉沢亮さんが、想矢君の舞台を見て
「僕はこの上を行かなければいけないのか
すごいプレッシャーでした。」と述懐
したほどです。



けれどもさすが吉沢亮さん、
喜久雄になる以前に黒川想矢そっくりの
眼差し、立ち居振る舞いを完全コピーし
「あれっ?まだ想矢君?」と聞き返し
たくなるほどの憑依ぶりでした。
お互いが一つの役を通して
一心同体になってぴたりと重なっていく
この「同身愛」にはかなりエグられます

第2話 喜久雄と俊介の同道愛
何といっても主役2人の歌舞伎役者同士の
対峙とシンパシーは圧巻でした



血筋の俊介と、才能の喜久雄と称される
対極の存在にある2人なのですが
僕にはなぜか真逆に見えたのです。
血筋の俊介はむしろ血筋ゆえに苦しみ
己の努力一筋で再起を図るのですが
結局、受け入れがたい運命に蝕まれ
立つ足をすくわれ、転げ落ちていくのです


一方、喜久雄もまた出生ゆえの不幸に
つきまとわれるのですが、不思議と
彼は、悲惨な境遇であればあるほど
天性の美しさで光り輝いて見える。
美の悪魔は、彼を後継に選び
かくして「国宝」は誕生します。


互いに幸と不幸を上り降りしつつ
その最期に命がけで1つの花を咲かせる
この2人の同じ道を生き抜き
そして互いの滅びを見届けるような
関係性こそは、同性愛では済まされぬ
同志愛、同道愛の世界観です。

この2人で最後に共演した「曽根崎心中」
「この上は、死なねばならぬ品なるが、
死ぬる覚悟がききたい」
まさに2人手を取り、死出の旅路へと
転がり落ちていくその様は
現実とも重なる気迫と壮絶な覚悟の
物語となっていくのです。

このシーンで僕は化粧が崩れる?ぐらい
号泣してしまいました(^^;)
第3話 芸に生き、芸に死す
「国宝」の原作者、吉田修一さんは
僕の大好きな作家で、いろんな作品に
お世話になっており、かつてのブログにも
多くの書評を残してきました。
改めて言うまでもなく、彼はゲイを
カミングアウトしており、その作品には
必ずと言っていいほど、同性愛的な
布石を配していくのです。
「国宝」はどこにそれがあったでしょうか?

喜久雄と俊介の双璧な生き方の中にも
こじつければ見出せるかも知れませんが
今回はそのような小手先の軽業では
収まらないスケールの作品です。
ですが、この映画鑑賞中に僕は何度も
自分の耳がおかしくなったかと疑うほど
この言葉たちに背中を押され続けました。
「げいの道を極める者たちの物語」
「毎日、げいを追い続けた」
喜久雄「守ってくれる血が俺にはないねん」
俊介「でも、げいがあるやないか」
「本ま物の、げいは刀や鉄砲より強いねん」
「どんなにつらいことがあっても
あんたは、げいで勝負するんや」
「100年に1本の壮大な、げい道映画」
げいの道に身を投じるということ
時には愛する女も子どもも家族さえも
遠ざけ、己が身一つで、げいを極める
それまでにどれだけの人を犠牲にしてきたか
「でもそれでいいの、それでもやるの。」
これは先代国宝役の田中泯さんの遺言

映画のラストシーンで
大勢の観衆から拍手喝采を浴びながら
たった独り彼岸の彼方へとたどり着いた
「国宝」喜久雄の眼に映ったのは、もはや
人の愛情でも、己自身の美でもなく
ただただ美しい風景があるだけでした…
喜久雄「きれいやなぁ…」THE END

↑「はやて」さん2025.4.3より

↑「ずっか@AIイケメンを愛でたい」2025.6.25より





↑「ずっか@AIイケメンを愛でたい」2025.7.7より
おっと少し飛躍してしまいましたかね?
では、メインテーマとともにもう一度…
ほんま、きれいやなぁ…
























































































































































