今日8月7日は五輪体操で金メダル2冠の
橋本大輝君の20歳の誕生日です。
2001年8月7日、千葉に
3人兄弟の末っ子として生まれました。
子どもの頃は兼業農家の祖母の農作業を手伝い
30kgもある袋を運び、足腰を鍛えていました。
また体操は、廃校になった小学校の体育館を
練習会場に頑張って来たそうです。
164cm、54kg。
体操選手としては高身長、低体重のスリムボディに
体脂肪率なんと5%という、驚異の細マッチョです。
肉体的にも申し分ない大輝くんですが
それよりも絶賛されたのは彼のメンタリティでした。
「僕の武器は練習量です。」と言うだけあって
彼の練習量は通常選手の2倍3倍は超え
ついたニックネームが「無限くん」
また大輝君は体操選手にはめずらしく
自分の演技のみに専心している他の選手とは違い
ライバルの演技をよく見ていて
時には相手のスゴイ技に惜しみなく声援を送ったり
ミスすると一緒に悔しがったりしていたそうです。
彼のもたらした周囲への温かみはやがて
孤軍奮闘の体操界の雰囲気をも変えていったのです。
大輝君が鉄棒で圧巻の演技をし着地を決めた直後に
それまで首位にあった中国の肖若騰選手は
すくっと立ち上がり惜しみない喝采を送りました。
また表彰台でも橋本選手と抱擁し讃え合う姿も印象的でした。
さらに橋本選手がSNSでの誹謗中傷に苦しんでいることを知り
これに抗議し声明を出してくれたのも肖若騰でした。
同じく鉄棒での銅メダリスト、ロシアのナゴルニー(24)もまた
大輝君のことを「彼は人格的にも金メダリスト」と讃えました。
この三人が表彰台に仲良く並び立つ姿は
東京五輪の中でも本当に感動させられた
1シーンでした。
本当の意味でのスポーツマンシップが
個人競技であった体操世界にも見事に
花開いた、そんなオリンピックの
忘れられないエピソードがまた一つ
咲き誇りました。
いよいよ明日は閉会式
東京五輪を振り返ってみましょう。
橋本大輝君の20歳の誕生日です。
2001年8月7日、千葉に
3人兄弟の末っ子として生まれました。
子どもの頃は兼業農家の祖母の農作業を手伝い
30kgもある袋を運び、足腰を鍛えていました。
また体操は、廃校になった小学校の体育館を
練習会場に頑張って来たそうです。
164cm、54kg。
体操選手としては高身長、低体重のスリムボディに
体脂肪率なんと5%という、驚異の細マッチョです。
肉体的にも申し分ない大輝くんですが
それよりも絶賛されたのは彼のメンタリティでした。
「僕の武器は練習量です。」と言うだけあって
彼の練習量は通常選手の2倍3倍は超え
ついたニックネームが「無限くん」
また大輝君は体操選手にはめずらしく
自分の演技のみに専心している他の選手とは違い
ライバルの演技をよく見ていて
時には相手のスゴイ技に惜しみなく声援を送ったり
ミスすると一緒に悔しがったりしていたそうです。
彼のもたらした周囲への温かみはやがて
孤軍奮闘の体操界の雰囲気をも変えていったのです。
大輝君が鉄棒で圧巻の演技をし着地を決めた直後に
それまで首位にあった中国の肖若騰選手は
すくっと立ち上がり惜しみない喝采を送りました。
また表彰台でも橋本選手と抱擁し讃え合う姿も印象的でした。
さらに橋本選手がSNSでの誹謗中傷に苦しんでいることを知り
これに抗議し声明を出してくれたのも肖若騰でした。
同じく鉄棒での銅メダリスト、ロシアのナゴルニー(24)もまた
大輝君のことを「彼は人格的にも金メダリスト」と讃えました。
この三人が表彰台に仲良く並び立つ姿は
東京五輪の中でも本当に感動させられた
1シーンでした。
本当の意味でのスポーツマンシップが
個人競技であった体操世界にも見事に
花開いた、そんなオリンピックの
忘れられないエピソードがまた一つ
咲き誇りました。
いよいよ明日は閉会式
東京五輪を振り返ってみましょう。
生まれてきてくれて、ありがとうございます
ひとつでも多くのシアワセが、大輝さんにおとずれますように☆
ラシン
がしました