註;今回の記事ははなはだ挑戦的なテーマです。
以前、岡村さんのコロナ関連の風俗嬢発言に対し
多くのバッシングが寄せられました。
その批判の根拠は、おおよそ以下のようなもの
だったかと思います。
1「コロナの影響で生活苦に陥る人々が多く出現した」
2「その中で困窮から抜け出そうと、風俗業に身を
売る人たちが出てきた。」
3「彼らは望まずして『性搾取の犠牲者』となり
その境遇はあまりにいたわしい。」
4「岡村がこのタイミングで、新人の風俗嬢到来を
歓迎するかのようなトークをしたことは、
甚だ不謹慎な内容に聞こえた。」
このうち1、2、4については、概ねそのとおりだと思います。
2に関しては実際、コロナ惨禍後、客足の遠のいた風俗店が
次々と廃業寸前となり、退店する風俗嬢が続出し
風俗嬢の人手不足、再募集に陥ったことは事実です。
またドイツでは難民の10~20代の青少年が
男娼となり、1回20ユーロ(2400円)で
糊口をしのいでいるという話もありました。
僕のお得意先のマッサージ店でも
ここのところ新人男子くんが急増してました。
これが憂慮すべき事態であることは
僕でもわかります。
確かに貧困や生活苦から何とか脱しようと
風俗で働くしか術のなくなった方々には
何とかしてあげたいと思う気持ちで一杯です。
けれども批判の3、果たして彼らのすべてが
「客の餌食になる、憐れむべき性搾取の犠牲者」
なのかというと、少しニュアンスが違います。
(ここでは未成年者はもちろん除きます。)
今どき職業選択の自由が限りなくあるこの社会で
選択肢が風俗しかないわけではなく、
いろいろお仕事はあるけれど、
これが一番自分としてやっていけるだろう、
というある種の意志と決意をもって
自身で最終決定をするのではないでしょうか?
さらに自分が出会ってきた数多くの風俗ボーイに
接して感じたことは、
彼らには、客を悦ばせる愛らしさと器量があり、
彼らなりの仕事へのプライドや成就感をもち、
自分の特性を生かして自己実現しているケースも
少なからずあるということです。
また客となる者も、体だけを求め群がる猛獣ではなく
心の渇きの癒しを求め乞う、弱き人間なのです。
むしろ風俗は、そんな弱者の味方にさえなってくれます。
それを十把一からげに、風俗は人を不幸に陥れると
とらえてよいものかどうか…。
そこには潜在的に、人の性に対する罪悪感めいた
負の感情があって、そこに金銭のやりとりが絡む
風俗の仕事全てを、否定的にとらえてしまう。
「憐れむべき性搾取の犠牲者」という見方こそが
風俗をさげすみ、下賤な職業であるという
差別感情をあらわにしているとは言えないでしょうか。
コロナ禍の中で医療従事者に感謝を表す
コメントやパフォーマンスは多々ありましたが、
これまでの長い人類の歴史の中で、風俗で働く人々が
表彰されたり、聖人に加えられたりしたことは
表舞台では、ついぞありませんでした。
唯一アムステルダムの街の一角に、
元売春婦が全世界の娼婦のためにと懇願し、
女性彫刻家によってつくられた
娼婦を讃える像があります。
(韓国のそれとはまったく意味が正反対です。)
彼女の誇らしげに胸を張って立つ姿に
私たちは何をか思うのでしょうか…
合わせて読みたい過去記事はこちら
以前、岡村さんのコロナ関連の風俗嬢発言に対し
多くのバッシングが寄せられました。
その批判の根拠は、おおよそ以下のようなもの
だったかと思います。
1「コロナの影響で生活苦に陥る人々が多く出現した」
2「その中で困窮から抜け出そうと、風俗業に身を
売る人たちが出てきた。」
3「彼らは望まずして『性搾取の犠牲者』となり
その境遇はあまりにいたわしい。」
4「岡村がこのタイミングで、新人の風俗嬢到来を
歓迎するかのようなトークをしたことは、
甚だ不謹慎な内容に聞こえた。」
このうち1、2、4については、概ねそのとおりだと思います。
2に関しては実際、コロナ惨禍後、客足の遠のいた風俗店が
次々と廃業寸前となり、退店する風俗嬢が続出し
風俗嬢の人手不足、再募集に陥ったことは事実です。
またドイツでは難民の10~20代の青少年が
男娼となり、1回20ユーロ(2400円)で
糊口をしのいでいるという話もありました。
僕のお得意先のマッサージ店でも
ここのところ新人男子くんが急増してました。
これが憂慮すべき事態であることは
僕でもわかります。
確かに貧困や生活苦から何とか脱しようと
風俗で働くしか術のなくなった方々には
何とかしてあげたいと思う気持ちで一杯です。
けれども批判の3、果たして彼らのすべてが
「客の餌食になる、憐れむべき性搾取の犠牲者」
なのかというと、少しニュアンスが違います。
(ここでは未成年者はもちろん除きます。)
今どき職業選択の自由が限りなくあるこの社会で
選択肢が風俗しかないわけではなく、
いろいろお仕事はあるけれど、
これが一番自分としてやっていけるだろう、
というある種の意志と決意をもって
自身で最終決定をするのではないでしょうか?
さらに自分が出会ってきた数多くの風俗ボーイに
接して感じたことは、
彼らには、客を悦ばせる愛らしさと器量があり、
彼らなりの仕事へのプライドや成就感をもち、
自分の特性を生かして自己実現しているケースも
少なからずあるということです。
また客となる者も、体だけを求め群がる猛獣ではなく
心の渇きの癒しを求め乞う、弱き人間なのです。
むしろ風俗は、そんな弱者の味方にさえなってくれます。
それを十把一からげに、風俗は人を不幸に陥れると
とらえてよいものかどうか…。
そこには潜在的に、人の性に対する罪悪感めいた
負の感情があって、そこに金銭のやりとりが絡む
風俗の仕事全てを、否定的にとらえてしまう。
「憐れむべき性搾取の犠牲者」という見方こそが
風俗をさげすみ、下賤な職業であるという
差別感情をあらわにしているとは言えないでしょうか。
コロナ禍の中で医療従事者に感謝を表す
コメントやパフォーマンスは多々ありましたが、
これまでの長い人類の歴史の中で、風俗で働く人々が
表彰されたり、聖人に加えられたりしたことは
表舞台では、ついぞありませんでした。
唯一アムステルダムの街の一角に、
元売春婦が全世界の娼婦のためにと懇願し、
女性彫刻家によってつくられた
娼婦を讃える像があります。
(韓国のそれとはまったく意味が正反対です。)
彼女の誇らしげに胸を張って立つ姿に
私たちは何をか思うのでしょうか…
合わせて読みたい過去記事はこちら
この表現は好きではないのですが、あらゆる風俗そのものも、そこに身を置く者たちも、この世の『必要悪』だと思うんです。辛酸はさておき、そこには夢があり、快楽があり、犯罪の抑止に繋がるという重要な役目もありますから。
風俗に従事する者たちには、それなりの深い事情と強い覚悟がありますね。好きで自らその世界に飛び込んでも、売れない者は売れない。売れても新陳代謝があるから、自然淘汰の波に飲まれるどころか、隅に追いやられてしまうことだってある。
そもそも風俗には歴史がある。現代の多種多様な風俗に至る以前、春を売ることを公に禁じられるまで日本各地に存在した赤線・青線、それ以前は遊廓、昭和大正明治~…昔から世の中はセックスで回ってきたわけですからね。
岡村さんは…ちょうどのオンタイムで要らぬことを言ってしまっただけだと思います。黙っていても、風俗に新規参入してくる者たちの流入~増加は安易に想像できる事態なんだし。
長くなりました。以上、実は大して詳しくはないながらも、酸いも甘いもある風俗業および従事者たちを、どこかあたたかい目で見ている者としてのコメントでした。
ラシン
がしました